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中途半端なアスリートの未来は暗い~私が中途半端なアスリートだった理由~

スポーツのこと
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専業主婦2年目。競技から離れて4年。
確かに私を形成したのはスポーツだった、、
だけど話すのが恥ずかしいくらい自惚れていた話です。身バレは、まだしたくないので競技は伏せますが、多少分かるような表現が出てくるかもしれませんがお付き合いください。
我が子がスポーツ選手を目指したいと言っているママや、子供がスポーツ推薦で進学予定のママなどに読んでいただきたいです。あとは、同じような境遇の方がいらっしゃったら共感していただけたら嬉しいです!決して私みたいな中途半端なアスリートになって欲しくないと皆さまに思っています!

まずは、競技歴を紹介

小学校では年中から始めた水泳で全国大会に出場、小学校のクラブ活動でやっていたバスケットボール部では大きな活躍はないけど、ミニバスにも誘われていました。で、小5の時に、今後15年間続けることになる競技と出会いました。きっかけは、近所に新しくクラブチームができるから、子供を集めているから試しにどうだ?と親から言われたからです。
※親が策略家で、兄・私・弟の三兄弟で、兄は野球、私は水泳、弟はサッカーとそれぞれ違う競技をしており送り迎えが大変だったから全員を一つにまとめたかったから体験に連れてったとのこと。で、まんまと三人揃ってその競技を始めることになりました。

スポーツする女の人

新しいクラブチームなのに全国大会出場者が多数いた!

そのクラブチームがある市が、その競技が盛んであり、新しくできたクラブチームに移籍してきた人がたくさんいたのです。指導者に定評があったからかな?
練習は週6日。学校終わりの19時~21時、土曜は16時~21時、日曜は9時~5時、年末年始の休みは31日と1日のみ。当たり前だった日常で、私はこれだけやっていればいいと思っていました。
小学校低学年から始めている人が多数いる中で、小5の私は遅かったけど、中学校1年生では県大会ベスト8、中学校2年生で県大会ベスト4、中学校3年生で東海大会3位、全国中学生大会に出場しました。
全国大会出場者や全国大会上位入賞者が多数いた環境だったので、私自身も追いつかないと悔しいと思って練習を頑張れていたのだと思います。始めたのが遅かった私が競技歴が長い人や、これまで必ず表彰されていた人に勝つことが快感だったな~

高校の誘いは6校!

全国大会出場程度なので、少ないと思いますが県内や県外から声を掛けていただきました。
で、当たり前のようにスポーツ特待生という待遇
どこの高校を選んだかというと、強豪校ではなく、これまで育ててくれたクラブチームから離れず練習ができるよう新たに部を開設してくれた高校でした。クラブチームの監督が、知り合いの先生に頼んで男子部しかなかった部活を私や、一緒に入学する予定の人たちのために作ってくれました。
強豪校と新設校!全然違って、この環境も私を中途半端なアスリートの道を歩むきっかけだったかもしれない。
高校受験はあってもないようなもの。受かることが決まっているから、試験も面接もある程度できればよかった。

強豪校私の学校
上下関係敬語は当たり前
逆らったら怒られます
罰則もあります
何をするにも先輩からです
なし
身だしなみ髪の毛は短くしましょう
ヘアピン?飾り付きなんてありえません
シャツは必ずインしてください
制服着崩すなんて言語道断
化粧?馬鹿にしているんですか
眉毛?いじっていいわけありません
男女交際?ありえません
自分が脱いだものはきれいに畳みます
靴はどこに行っても揃えます
どんな所でも揃っていないのを見たら揃えます
なし
あまりにひどいと先生から
注意はありました
遠征の移動車先輩から席を決めてもらいます
助手席は1年生、運転者ように飲み物・ガム等の用意
寝るなんてありえない
おしゃべりなんてありえない
イヤホンで音楽聞く?ありえない
携帯触る?ありえない
なし
好きに過ごしていました
運転してくれていた先生に
うるさいと怒られるくらい
騒いでいたことも・・・
練習や試合の際大きな声を出します
全力で応援します
部の応援歌あります
応援はするけど揃ってはいない
練習中の声出しは多少です

※私の所感です。

高校での私は

練習は学校の部活が平日は16時~18時、クラブチームに移動して19時半~21時、土曜は9時~12時、クラブチームで18時~21時、日曜は9時~12時、14時~17時、月曜日だけ休みという毎日を送っていました。
部活だけやっていればいい、部活で全国制覇したい、授業?体を休める時間、文化祭や体育祭はだいたい試合と重なって出れないからクラス行事は関係ない、テストは赤点取らない程度に勉強すれば大丈夫。
そんな私の考えを、担任の先生たちも肯定してくれているようでしたし、両親も特に部活のことしか言ってこなかった。部活の先生やクラブチームのコーチも皆、全国制覇へ導くために、一生懸命指導してくれていたが、私の人生についてしっかりと考えてくれる方はいなかった。というより、全国制覇すればアスリートとしての道が開けて、ゆくゆくはオリンピックを目指して・・・などといった曖昧な目標を自分自身、両親や先生、指導者を含めて考えていたのかもしれません。

この時点での将来像について、ふんわりと考えていたことは2つです。
①教員免許を取得し母校の監督をする(丁度大学を卒業するときに恩師が定年だったので)
②実業団チームに入る
同じくらいの競技成績を出している多くの先輩たちがこれらの道を進んでいたので、私もそうなるだろうと、なぜか思っていました。

一番天狗になった時期

高校時代の競技成績はインターハイは1年から出場し、2回戦、ベスト16、準優勝と成績を伸ばしていました。JOCや国体、選抜でもある程度成績を出していました。
内申点もオール4はあったので、大学や実業団から誘いを受けました。

大学進学を選択

理由は
◆競技を仕事に繋げるイメージが湧かなかったから
◆実家を出て一人暮らしがしたかった
◆東京で一人暮らしがかっこいいと思った
◆教員免許を取りたかった
◆大学名が自慢できて輝いて見えた
(早慶のどちらかです)
◆大学名が就職に有利そうに見えた
◆前年度インカレで優勝した大学だった


今考えても、しょうもない理由だったなと思います。
親も、先生たちも私が行きたいと思うならそうしな、と。
高校に至っては早慶へ進学した生徒が過去1名しかいなかったため、喜んで褒めたたえてくれるくらいで、将来について真剣に考えろ!とか、言ってくれる人はいなかった。

大学での私と言ったら・・・

正直、遊んでばっかでした。キラキラした都会での生活、飲み会やカラオケ、ボーリング、バイトに睡眠時間は少なかった。一人暮らしの友達ばっかで家に行き来したり、イベント毎は全力で楽しむ(花見、誕生日会、夏はプールに海に花火、ハロウィンやクリスマス、忘年会に新年会など。)週6日の部活はあったけど、講義は何回か休んだって単位はなんとかなる、出席取らない講義なら出なくたってなんとかなる、って考えてて学業と睡眠時間を削りながら遊び呆けていました。誘惑が本当にいっぱいあって全部に流されていたのが情けない。

飛び跳ねる三人

散財!今考えると、講義って一回に約3万します。それを4年間で何回無駄にしたことか…。競技の道具についてもメーカーから全て支給がありました。毎年毎年新しいものがいただけます。名前入りのもの以外売ってた時もありました。←私だけではなく周りも結構やってました。関東の一部リーグに所属してる大学は同様に支給されていたようですが、道具を支給される有り難みを理解してた人はどれぐらいいたんでしょうか。上級生になればなるほど飲み会の支払いは多めです。1年生は1000円、2年生は2000円、3年生は4000円、4年生は6000円みたいな支払い額でした。これは伝統だ、と言われ4年間変わることなく支払ってたし部活での飲み会の頻度も多かったので結構な額になっていました。

部活での成績はパッとせず。インカレには1年生の頃から出場していたけどベスト16止まり。団体戦のメンバーになれたのは2年生からだけど出場の出番があったのは3年生から。部活内には、ベスト4に入る選手が多数いたし今回の東京オリンピックに出場する予定の選手もいました。高校時代は部活内でも一番手、1年生の頃から東海大会までのレベルであれば決勝まで上がるのが当たり前、練習ではコーチたちからメインに見てもらえていた、そんな環境は大学生の間は一つもありませんでした。

トップアスリートの一握りが進める道

タレントやコメンテーター、道具メーカーと契約し広告塔になったり、解説者、指導者、日本代表や実業団チーム、大学でのコーチ、教員免許があれば中学高校の先生、これまでやってきた競技の世界で暮らしていくイメージがあると思います。これらは実績が認められて受け入れられたからこそ、進める道です。ただ、これらの道でうまく立ち回れない元アスリートが多くいるため、日本のセカンドキャリア問題が起きています。

セカンドキャリア問題・・・
引退したアスリートが直面する、第二の人生を歩み始めるにあたっての様々な困難、特に、職業としての第二のキャリアの獲得に向けた諸困難のこと

日本の文化的に、現役選手でありながら他のキャリアをスタートさせることは選手への風当たりが強くなります。一つのこと(競技)に集中するべきであり二足の草鞋なんて中途半端になるだけとういう固定概念があり、行動を起こせば批判の対象になりかねません。これはトップアスリートは世間からの声としてありますが、上を目指しているアスリートの周囲(家族やコーチ、関係者)でも必ずと言っていいほど起こってしまう文化です。また、その風潮によって引退後の生活の金銭的・精神的な準備を十分に出来ないまま、社会に放り出されることになります。

傘をさす女性

大学4年生、私が選択した道は

競技は大学で引退、就職して仕事に打ち込む。ことを選択しました。理由は新しい何かをしたいと思ったのが一番だったと思います。同期は半数以上が実業団へ進む道を選びました。もちろん競技成績がないと入れないし、女子選手は特に選手生命が短いと言われているのでトップリーグのチームに入るには、2、3年生の時に成績を残していないとスカウトはありません。当時は実業団チームに進むことが4年生になるタイミングで決まってた同期がいたのでまぶしく見えていました。
就活の準備をする大学3年、4年と言えば引退前の最後の時です。最後の情熱を注ぎ練習に励みながらも就職活動をする。ということはとても難しく、どちらも中途半端になっていました。また3月の春休みの時期に東日本大震災が起こり、練習場所が被害にあった関係で練習ができず、春季の試合は中止、近所のスーパーは食料品不足、就職活動も日程がずれたりと、練習も就職活動にも集中できない環境が続きました。言い訳になりますが、この就職活動の日程が遅れたことにより7月~10月に大きな試合が続くんですが、それに被ることになります。そして私は適当な考えのもと、すべて部活を優先していました。「まあいいか、高校時代に考えていた、どちらかの道を選べばいいや」と。競技を引退する、と考えていたのに私は楽な道を選んだのです。

この時点での将来像について、ふんわりと考えていたことは2つです。
①教員免許を取得し母校の監督をする(丁度大学を卒業するときに恩師が定年だったので)
②実業団チームに入る
同じくらいの競技成績を出している多くの先輩たちがこれらの道を進んでいたので、私もそうなるだろうと、なぜか思っていました。

①は母校の先生に相談しましたが、定年後も2、3年は続けるからその間は非常勤講師として力をつけておけ、と言われました。けどなぜか私は非常勤講師という道が嫌でした。(給与面が特に。)非常勤講師として働いてはいなかったですが、本当に3年後に声を掛けていただきましたが教員という仕事の怖さから、またワークライフバランスを考えだしていた時期だったこともあり断りました。今思えばこの時受けていれば、競技人生を昇華できていない人生にもう一度向き合えるチャンスだったかもしれません。

②この競技にはトップリーグ、2部リーグ、3部リーグとありますが、トップリーグも2部リーグも夏の時期にはほぼ内定選手が決まっています。私は3年生までに特筆した成績が出せていたわけではないので、今更アピールしても取ってくれる企業はありません。ですが地元にある実業団チームは3部リーグに所属レベルであり(当時)、小さい頃から知っている選手や監督だったことも縁で、この中の一つのチームに入社させていただくことになりました。

就職しての私

当たり前ですが、これまでのように競技が一番の生活ではなくなりました。
実業団選手として活動することが配属先の部署には伝わっていますので「オリンピック出場できる?応援するね!」と声を掛けていただきますが、なんて答えていいかわかりませんでした。もちろん高校時代の私であれば「頑張ります!」と返事ができたかもしれませんが、これ以上は難しいと考えて「引退」を選んでいた私であり、競技をやることで就職できる、もし引退しても会社に残れて安泰だ、と思って入社した私には笑ってごまかすしかできませんでした。
実業団選手といっても仕事が優先です。2部リーグ、3部リーグのチームは仕事後の練習が当たり前で試合にでるときは有給消化、寛容な会社であれば特別休暇として試合に送り出してくれます。トップリーグの選手では午前中のみ仕事や、週1回の出勤など様々な待遇です。
私は仕事後に週二回1時間半ほど練習、土曜日に3時間の練習のみで試合に臨んでいました。大学での部活はほとんどが全国大会で上位の選手でレベルの高い練習ができていましたが、就職してからのチームは年齢も高かったり全国大会でも初戦負けが当たり前のような、少しレベルが落ちた環境です。
全て言い訳になりますが、これでは勝てるはずもなかった。

それに耐えれなくなり、2年で退社する選択をしました。
2年前、就職活動に時間が取れないから中途半端な選択になってしまったことが一番の原因だと考え、競技に代わる熱中できる仕事を探し転職活動を始めました。
勝負の世界で生きてきた私だから、成果を上げて評価が欲しい(歩合)ということで営業マンで、成長速度が速く意識高く仕事に取り組める環境ということでベンチャーを選択しました。

この選択については、また違う記事で紹介させていただきます。

30歳にして考える!自ら選択することの大切さ

まず、アスリートだった自分をどう捉えるか。競技一筋でやってきた自分か、競技一筋でしかやってこなかった自分か。気持ちの違いで自分の表現の仕方が変わります。

高校進学も大学進学も面接のみしっかりやっておけば大丈夫、という道で進学し一般的に羨ましいと言われますが、後々大変だということをその時伝えてくれる人がいて欲しかったし、自分で気づきたかったです。

プライドを捨てること。何を始めるにしてもすべては0からです。

15年も続けていればその環境はとても居心地がいいものです。試合に出れば友人がたくさんいます、その競技に関するSNSを見ればだいたいのことが理解できます。セカンドキャリアとして競技から離れる選択をしたのであれば、簡単に戻らないことです。意志の強さが必要です。

驕った態度、感情は神様が絶対に見ています。企業はなぜ私を取ってくれたのか、道具の支給がなぜ行われているのか、競技を続けていられるのはなぜなのか、自分の置かれている環境はどうして作られているのか、当たり前と思ってはいけんません。

だからといって、誰かのために競技を続けるのであれば辞めることを考えたほうがいいです。
私は競技生活の途中から、育ててくれたコーチ、支えてくれた両親のために競技を頑張る、と考えて続けていましたが、他責の考えはどのような環境でも良いことはありません。

自分の人生すべて自責です。

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